ふしきせぼの:第4レース ここが何処なのか、僕がだれなのか。(1998.8)

楽しかった函館の日々は過ぎた。なんだか意味もなくはしゃいでいたような気がした。
アケボノも妙に楽しそうだったし、それにつられて僕も妙にハイだったような気がする。
僕の最初の息子が函館3歳ステークスに出てくるとはとても嬉しいことだった。
負けてしまったが雅彦はよくがんばったと思う。
え?雅彦?本名ノボマーチャン、僕が僕の息子のやつを呼ぶ、呼び名だ。

楽しかった函館の日々は過ぎて、僕は窓のすくないところに、今、住んでいる。
寝て起きたらそうなっていた。不覚であった。
だから、ここが何処であるかを僕はよくわかっていないし、誰にも告げてはいけないらしいのである。
騎手のひとが入る調整ルームっていうのもそんな感じなんだろうか。
いつか幼い頃にそんなことを馬運車の中で考えた。いつか角田さんに聞いてみたいとそのときは思っていた。
忘れてた〜。

「キセキぃ〜」
「?」
誰だ、何故知っているんだ。え?
タイキシャトルと一緒にいったんじゃなかったの〜?」
「???」
タイキシャトル、勝ったよぉ〜」
「アケボノ...(^^;)」
しかし...なんでだろう、アケボノの声を聞くだけで、なんだかキモチが変わってくる。だけど、どこから声だしてんだ、やつ。
「僕ね、シャトルと一緒に走ったことあるんだよ〜」
「そりゃよござんした〜」でもちょっと羨ましい。
「僕ね僕ね、あのメイショウテゾロ10万馬券のときにも走っていたんだよ〜」
で?
「僕ね僕ね僕ね、アラブのおねーさんとも走ったことあるんだよ〜」
え?
「何言ってるんだろう、僕...でも、ホント、まじ、嬉しいなぁ...」
タイキシャトル...か...。
交わることはなかったんだろうけど、でもなんだか。すごいなぁ。それだけはとても感じるところであり。
やっぱり、僕は僕の心の中で抑えなきゃいけないと思って、それで我慢してたこと、あるのかなぁなどと、5歳くらいのときにふと思ったことはある。
雅彦とかキセキコとかはそのころに出会った僕の子供だ。
やっぱり僕がこのシゴトを続けていくのが天命だ、と思ったのは、いろんなところで僕のコドモが頑張ることを見て、だ。コドモたちは、すごくいとおしく、しかも僕の心の支えになる。そして、このシゴトを続けていこうというパワーのミナモトになる。
その点、アケボノはヤっというほど走ったわけだし、まだまだそっちのほうが強いのかなぁ。
「今日走ってたねぇ。惜しかった、トウキョウオンド...」
「をい。俺にそんな子はいないぞ」
「あの...つのちゃんが乗ってたんだよ、何か嬉しかったなぁ。キセキのコドモにつのちゃんが乗ってたなんて」
「...それ...トウショウアンドレじゃないのか?」
「あ、そうそう。ごめんごめん」
「減点2度目。こんどやったらただじゃおかないぞ〜」
「ひょえー...許してェ...あ、キセキ、中舘さんって知ってる〜?」
「騎手のヒトは角田さんしか知らない」勝ち誇ってるわけじゃない。
「新潟で中舘さんに会ったんだ〜。最後に僕に乗ったから、「三輪車からヒシアケボノまで自由自在」って言われたんだってさ」
「それがなんで関係あるんだよ」
「そのレースに勝ったのがタイキシャトルだったんだ★」
...早くこの方の産駒を見てみたい。そんな思いがつのる。
「キセキ、もうオーストラリア?」
「よくわからない」
「頑張って元旦生まれのコドモをつくるんだよ。きっといいことあるからさ」
「...」
いいかもしんない。そして、そのコが牝馬で、鞍上の角田さんにブイサインをしてもらうのも。
※減点:アケボノくんは雅彦(愛称)に続き、またしてもキセキ産駒の名前を間違えました。