FULIE FOREVER(1) (1998.11-12)

1)そんなこととは思ってもみなかった1年前の暮れ

結局年の瀬を迎えるに至る。
年の瀬と言うのは翌日が元旦であることを意味する。
元旦には天皇杯の決勝がある。
準決勝を見て(惜しかったぞ、東京ガス。元旦に出てきたら楽しかったのになぁ)久しぶりにヒコーキに乗って国立に向かってみようかと思ってみたが、いろいろあって止めた。

日本代表が初めてのW杯出場を決めてからいろいろなコトがあった。
ことさら決めた人々のキャラクターがあからさまになり、非常にいそがしい状況を醸し出したような気がしてならなかった。
24から32に増えたところに滑り込んだばかりでどーしてそんなにという人も少なくなかった。
単純に喜んで何が悪いのか。と思えてならなかったりはした。

やがて、モノを単純に喜んだり悲しんだり出来ない事情の中には「サッカーが団体スポーツであり、個性の強い個々の選手たちのパッチワークで構成されている」ことに気付いた。サッカーが好きであると同時にひとりひとりの動きにココロを奪われることが往々にしてある。事実、元旦を決めたフリエの三浦淳宏フリーキックには、妙なる説得力があった。
フリエに関しては、ワタシの中でひとつだけ淋しい材料があった。戦力外となった選手が天皇杯の最初から姿をあらわさなかったことである。サンフレッチェが決勝に進んだとき、ゴリさん(=森山佳郎)がスタメンから出場し「あぁ、あれがこんどフリエに来るゴリさんじゃのぉ」としみじみ感じ入ったことがあったが。そのゴリさんもどーするのか...。
タケは京都サンガに行くことが正式に発表された。中河ピーコとか山田とか、あとワタシのココロのホープであった光岡もだ。
更に森保までレンタルするというでぁないか...。そうだ、京都行こう。ちゃららちゃららちゃららら...(屠蘇の前に壊れた)
なにはともあれ来年はW杯イヤーだ。よいお年を。

2)あの日の前のよるに

俄には信じ難いがその日が来てしまう。
なんとかかんとかしてきたが、ついにその日が来てしまう。

あのときから、フリエについて思いをめぐらせた。
今書くためのことばを持ち合わせていない、ということと、
あのときとても饒舌に、溢れんばかりの思いを注ぎこめていたのだなぁということを、
昔出していたペーパーを読みながら思った。

いろいろな事があって、意識的にサッカーを封印していた、というむきもある。
それは自分自身のキモチのことだったり、いろいろな関係のことだったり、
なくしたものの大きさだったり、いろいろなことがないまぜになって、
今年はほとんどサッカーに触れずに終わった。
準決勝の日も、有馬記念などを見ていた(^^;)

国立に行きたいと今年も思い(学習効果なし...上の文章参照)、今年も行かないことにした。
行ったら帰れないような気もした。
昔の自分に連れ去られるような気がしないでもなかった。
けっこう準決勝の記事で「森山」の2文字を見て、さらに「大嶽」の2文字などにも触れた、というのが、自分の中では大きすぎた。

もうサッカーは観ないというひともあり、
サッカーとはこれからも親密でいたいというひともあり、
いろいろなひとびとの出会いの場にもなった...そんな日々だった、そう思う。
まだ自分の中では終わっていないし、まだ閉じこめておきたいことは多々ありすぎる。
明日はそんなことが一気にテレビの前で噴射されてセルフパニックに陥ることになるのかもしれない。

なにはともあれ、悔いだけはいらない。せいいっぱい、せいいっぱい。

※帰省の飛行機は1月1日の最終、と決めていた時期があった。
国立競技場で天皇杯を観て、いろいろな方と新年の挨拶などをして、というのをパターンにしていた。
ここ2年は札幌にいたせいか、国立競技場に行くことをためらって、結局、行かなかった。
実はフリューゲルスが吸収される相手(?)チームのあるサポーター集団と懇意にさせていただいていて、元旦に挨拶をするのはこの面々がかなり多かったわけで、純粋に「あそこと合併するのはやだぁ」という人間ではなかった。が、或る個人的な理由で、このときはかなりサッカー場に行くこと自体を避けていたむきもある。
斯くして、私は1月1日を自宅のテレビの前で迎えることになった。それは別稿で。