ふしきせぼの:第1レース 海を渡ってみるかぁねぇ(1998.6)

 ぼくはヒシアケボノ。最近ひとまわりおとなになったねェと言われる。嬉しいような嬉しくないようなだけど、ぼくは今年からタネツケというしごとをするようになって、来年にはおとうさんになる、らしい。実感はない。海を渡ってタネツケにきたおうまもいたときいて、なんだか嬉しい。ぼくに会いにきたんだなって思ったら、すごく嬉しい。
今、ぼくは青森というところに住んでいる。青森というのは、あの「よしとみのしごと」を書いた人の出身地でもある。ぼくに乗ったことのあるひとではないらしい。ぼくは関西に住んでいたのだけど東京で初めて走ったので、最初は田中かっちいさんが乗っていた。田中かっちいさんはつのちゃんの同期だって、あとで聞いた。
え?ぼくがつのちゃんってよぶのはヘンだって?確かに「お前太りすぎだ。絞れ」とか説教をされたけど、いちばんぼくのことをわかっているのはつのちゃんだってわかっている。だからさいごにぼくについてきてくれなかったのはとても悲しかった。(そんなことを言うと、アマゾン姐さんにおこられちゃいそうだけど)
 今日はなんだかそわそわしている。
 ひさしぶりにキセキにあうのだ。
 キセキ...フジキセキっていうんだけど、ぼくのだいじなともだちだ。りっとうにいたときには、ぼくが未勝利っていって、掲示板にしかのらなかったころに引退してしまった。しかも、すごい成績をのこしていたので、ぼくが勝てるのはカラダの大きさくらいだった。
 キセキは4歳で、ぼくがことしはじめたタネツケというシゴトをはじめたとかで、とてもたいへんだと思っていたけど、そのぶん子供がはやくデビューするので、とてもやりがいがあるんだろうなって思った。まだまだかてたんじゃないかなとか、つのちゃんもダービーかてたんじゃないかなとかいわれた。ぼくは○外だし、短いきょりしか走れないから、その夢をかなえることはできないわけだけど、とかおもっていた。
 ぼくがキセキと仲良くなったのは、スプリンターズステークスにかったあとで、つのちゃんに「ぼくの勝たせたG1のおとこのこだよ」と、くれにキセキを紹介してもらったときからだった。つのちゃんは「牝馬のつのだ」とか言われてて、おんなのこにはとてももてるらしいのだけど、おとこのこでG1をかったのはあまりいないということで、接点はなかったけど同い年だから、仲良くしなさいといわれた。サンデーサイレンスの子供はこわいんだろうなぁ、はなしかけてくれないんだろうなぁとか思っていたが、キセキは話をするたびにぼくのことをわかってくれたんだとおもった。ぼくは去年、まけたりまけたりしてて、体重ばっかりいわれてて、いやになりそうだったのだけど、キセキはそれを知ってて、ぼくのキモチがなえないように、とても気を使ってくれた。
 ひさびさにキセキとはなしをした。きくと、こんどハコダテでキセキの子供がはしるとかで、ハコダテに見に行くんだといっていた。ぼくは青森に住んでいるので、船に乗って会いに行くことにした。会うのは、「見た」だけだと思うりっとうにいたときぶりだ。
ぼくのこと、ヒシアケボノってわかるかなぁ...だいじょうぶかな、待ち合わせ。トキノミノルさんの像の前で、っていったんだけど、それ、ちがったかなぁ...(をいをい...筆者注)
※後日談...待ち合わせは無事に終了したらしい。が、キセキは間違えてビッグサプライズに話し掛けていたらしいぞ。