てくすと復刻:ふしきせぼの

フジキセキが鬼籍に入ったというのが報じられた。
昔、ちょっとしたテキストを起こしていた記憶が蘇った。密やかに復刻しておいてみる。尤も、既にそのテキストは手許にないので、Webの、とある保管庫から引っ張ってきてみた、のである。以下、各章ごとに。
今よりもちょっとだけ競馬を見ていたひとの、他愛のないテクストであり、あんまりこわいはなしではない。ただ、今そんなに競馬を見ていないので、読み返すのにデータベースと首っ引きになってしまってはいた…かな。ちょうど、1998〜99年頃に書いていたもので、当時の周辺の方々の影響はつよく受けていたと思う。

ライフハックって

ライフハックについて本やサイトで読むことはあったのだが、そのときついつい考えてしまっていたのは「この考え方を意識していたら、20代の時のシゴト環境にどう活かすことが出来たのだろうか」ということであった。

20代中盤からの約5年間、わたしは「コールセンター」と呼ばれる職場にいた(当時はそう呼ばれていなかったかもしれない)。
コールセンターといってもある1社のお客様窓口をどでーんと構えているような所ではなく、センターの外にいる営業担当者が取ってきた細かい仕事をきめ細かく積み上げ、月々の運営をしていく泥臭いところである。
営業日は土日を含め9時〜21時。シフト制とはいえど、回っていたとは到底思えない。

なぜライフハックスで忙しさが解消しないのか? - 萌え理論ブログで挙げられていた下記のようなことは、日常茶飯事であった。

「仕事ではなく納期が前倒しになる」

社会情勢によって突然決まる仕事があった。仕事なのか納期なのかは微妙だが、仕事をするというのが木曜日に決まり、金曜日に準備をして、土日に実施して日曜に納品、というようなスケジュールありき。
そのために必要な要員の確保、研修の準備、システムのセットアップ、場合によっては他の部署への応援依頼、すべて同時進行。

「2つ以上の仕事を同時並行処理させられる」

ひとつひとつの仕事が細かいので、最大5プロジェクトくらいは抱えていたと記憶する。そして困ったことに、わたしはそういう役回りだと周りに位置づけられていたような気がする。

他の項目についてもだいたい当てはまっていた。

自分のスケジュールではなく、会社のスケジュールが、絶対的に優先されるからである。しかも、日本の仕事は、仕事の区分が曖昧で、誰がやるか分からない空白地帯があり、相手への即応性が求められることが多い。

まさにこれを地で行くような環境だった。

自分の担当する部分が終わっても、全体が落ち着かないと帰るわけにはいかない。必要なことは協力して済ませる。それ自体は全体の利益を考えれば美しいことであるが、だんだん「じゃあ、自分の役割は何なんだ」というところが見えにくくなっていったことに気がついた。
#このセンター自体は新しく、わたしを含めて経験の少ない若いメンバー中心で構成されていた。今思うと、いかに「疑問を持つより前に動くべし」的な構成であったか、ということなのかもしれない。

そういうところでどうやってはたらいていけばよかったのか。
結局、職場を変えることでしか解決できなかったのか。

今でも、その頃のことを思い出すと、「あぁあのときどうすればよかったのかな」と考えることはあるのだ。

コトノナカとは

確かポケモンダイヤモンドのバトルタワーで出会ったお方。ハリテヤマなどとの関係があるかどうかはわからん。
しかもコトノナカはドラゴンつかいなのだという。ドラゴンつかいということであればヤマノウチとかのほうが良いのかもしれないが、それはそれ。

バトルタワーにはなかなか粋な方が棲んでいる場合がある。ギタリストのマグミは元気だろうか。